2011年12月26日月曜日

Internal vs. external criteria



最近、自分の基礎的な研究は一般社会にどう貢献することができるようになるのかと考えていた。そのことについてボスの家で話してて、ボスの意見に共感し、自分の内的な基準を強化してもらったような気がした。年をとるにつれて外的な基準を重視しがちになってきていたから、今回教わったことは残しておきたいと思う。個人的にこのボスの研究スタンスは納得できるし好きだ。一般受けはしないと思うけど。

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現在の一般経済社会やアカデミックにおけるメジャーな価値に基づいて研究計画を構築すれば、研究者としてうまく生きることに役立つかもしれない。しかし基礎研究(人を含む自然を理解することを目的とした科学的研究)の場合、その姿勢は研究を大きく推し進めるための創造性を制限することにもつながる。革新的なものの見方が現行のメジャーな価値から生まれるだろうか?

もちろん論文、研究費の申請書、研究職を得るための書類を作成する際には、世の中が何を求めているかを考え、それと基礎研究とのつながりを作る必要がある。でもそれを基礎研究のスターティングポイントにしていては駄目だ。人類の自然への理解を推し進めるには、むしろ意識的にそういった外的基準に抗うべきだ。

過去に科学を大きく進歩させた理論は、それが注目を集めるようになる以前はアカデミックの世界でも価値はおかれていなかったし、研究費も取りにくいようなテーマだったに違いない。また、いくら科学の進歩に貢献した大発見であっても、一般の経済社会に直接恩恵をもたらすようなものであったとは限らない。

もちろん科学を推し進めるような大発見をしたり、大理論を構築したりすることができるかはわからない。しかしうまくいくとは限らなくても、種は蒔かなければ、花が咲くことはないし、何も生まれない。

基礎研究の創造性を制約しない、経済社会、一般社会への貢献の方向性としてひとつ考えられるのは、ひとりでもいいから一般の人が面白いと感じることができるように、アカデミックな内容をわかりやすく本などで伝えることかもしれない。(最近のテレビで横行しているような、不正確だけど一般受けする科学的知見っぽいものは別。)